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ディック・パウンティンとデビッド・ロビンスはこの“クールな”態度は、超然さ、自己陶酔、皮肉、快楽主義の主たる4つの人格的特徴から構成されている、と説明している。

 これら4つの態度は、カポエイラに上手く当てはまる。超然さはカポエイリスタがゲーム中、過剰な反応を抑えるよう努めつつも、瞬間的に相手の動きに捕らわれたと認める時、あるいは相手の向こう側の空いているスペースを見据える時に養われる。自らの体をもっての不断の鍛錬は、容易に自己陶酔のボディビルダー的態度へ繋がることが、カポエイラが行われる度に制作される長々としたビデオ映像、大量の写真に反映されている。皮肉は、ゲームそのものと、ホーダの状況を表現するカポエイラの歌の即興演奏を通じて発達する。カポエイラの修練における狙いとは、ゲームに秀でることであり、カポエイラをすることは非常に楽しいため、人々はほとんど中毒のようになってしまう。その上、カポエイラのイベントに参加した者は皆そう言うように、カポエイリスタ達は大抵、活気づいたパーティで浮かれ騒ぎ、多くの人がそこでストップして日常の仕事に戻るのが難しい、と思うところまで人生の良い面を楽しむことがとても上手い。

 もしカポエイラがこのように、離散した人々のクレオール・アートとして“クールさ“をほぼ完璧なものとして具現化するのなら、疑問なのは、浸透しつつあるこの態度をどこまで”抵抗の精神”とみなせるかだろう。もし“クールさ”が、西洋においてこれまで重要視されてきた労働観や家族の価値を奪ってしまうなら、それはまた進化した消費者資本主義の支配的理念となっていく。抵抗精神とこうした新しい観念の対立に関する議論は、グローバル化したカポエイラでも為される価値がある-どちらか一方だけ正しい、ということは滅多にないからだ。メストリ・ジェロン・ヴィエイラは近年、「グローバル化は世界を米国化することを意味するが、カポエイラは心と体を独立させることができる」と言明した。世界中の多くのカポエイリスタ達が、この見解に賛同しているようだ。しかしながら、その“独立の美徳”を否定せずとも、カポエイラはまた同時に、グローバル化のプロセスに重要なツールであることも明白である。

コンテンポラリー・スタイル

カポエイラのスタイルの変化は、多くの社会的変化と結びつく要素に起因している。戦後、若者のサブカルチャーを分析したディック・ヘブディッジは、それらが英国において、かなりの規模の黒人コミュニティの存在に介在された反響の上に成り立っていると示唆した。サブカルチャーは「象徴的秩序に対する象徴的挑戦」を表し、彼はサブカルチャーを“支配的イデオロギーに対する経験された矛盾と反論が遠回しにスタイルで表現される反抗の一形態”であると説明している。

 カポエイラはある意味、若者のサブカルチャーの性質を帯びている。なぜならその練習生の大多数が30歳以下であり、特定の行動、服装規範を守り、カポエイラの実践を支配的な世界秩序に対する反抗の一形態と位置付けているからだ。同時に古参のカポエイリスタ、特に伝統を保持しつつ革新的要素を取り入れることに責任を持つメストリ達の存在は、カポエイラを他の社会的組織や位置づけの形式になぞらえる。格闘技の組織は、教会や政党と同じく、特に持続的に拡大している期間があると、反目し合って分裂する傾向にある。副次的なスタイルは伝統と革新的要素を寄せ集めた結果かも知れないが、それらはまた、実践者達を団結させる明確なメッセージを発するのだ。カポエイラの形式的側面における変化と新しいスタイルの出現は、かように社会的状況と文化的意味における変化を表現しているので、常に意義深い。

 ブルラマキ、ビンバ、パスチーニャの例を追い、他のカポエイラ教師達も彼ら自身のスタイルを確立しようとしている。カルロス・セナはそれを最初に試みた1人である。
by brasilia70 | 2012-04-19 14:55 | Jaspion