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191 : Jaspion(CCJ大阪)

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だがその後、カポエイラは文字通り爆発的に広がり、今日、米国内の全ての州で教えられるまでに至った。ほとんどとは言わないまでも、多くの教師達は、より良い生活を求め故国を後にしたブラジル人であった。1980年代初頭より、米国とヨーロッパはこうした移住者達の主要な目的地となっている。彼らはブラジルの異なる地域出身で、カポエイラのスタイルも異なるが、ブラジル国内同様、海外でもヘジオナゥ・スタイルが明らかに優位を占めている。近年、米国に渡った中で著名なのは、メストリ・アメンとボネコで、両者ともロサンゼルスで教えている。1992年には、最も尊敬を集めているカポエイラ・アンゴラのメストリの一人、ジョン・グランジがニューヨークに移住し、アカデミアを開いた。彼に続いて、メストリ・コブラ・マンサやジュランディールといった著名なアンゴレイロも、それぞれワシントンとシアトルに移り住んだ。この二人のメストリはまた、インターナショナル・カポエイラ・アンゴラ・ファウンデーション(FICA)を創立し、他の都市の関連グループに対し、定期的にワークショップを行っている。

 初めて米国にカポエイラが紹介されてから四半世紀が過ぎ、今や多くの北米人がカポエイラを教える立場でもある。米国で初めて卒業者が出たのは1984年で、それ以来多くの上級生達が次々と育っている。センバ・マシャマ(元メストリ・アコルデオンの生徒でGCAPのアンゴラ・スタイルに転向)を始め、何人かの米国人がついにコントラ・メストリの肩書を授与されたし、マイケル・ゴールドステイン(メストリ・オンブリーニョ、メストリ・ノーの生徒)やスエレン・アイナースン(メストラ・スエリー、メストリ・アコルデオンの元を卒業)などはメストリの肩書までも授与されている。今日、ニューヨークだけでも、ジェロン・ヴィエイラ、ジョン・グランジ、エドナ・リマ、ボン・ジェズス、リンコゥン、ピラオン、カルバオン、カシアス、ドウトール、ジョー、マカコといった、多くの著名なメストリや資格も持った教師達が、毎日何千ものカポエイリスタを指導している。1995年6月12日、ギウリアーニ市長は、カポエイラが米国に紹介されて以来20年が経ったことを記念し、この日を「カポエイラ・デー」とすることを宣言した。

ヨーロッパにおけるカポエイラ

カポエイラは、米国よりも先にヨーロッパに到達していたかも知れないが、その地位を築くのはより時間を要した。旧大陸で初めてカポエイラを教えたのは、恐らくネストール・カポエイラであろう。
by brasilia70 | 2012-04-24 14:59 | Jaspion