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188:久保原

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 GCAPと既存のアンゴラグループとの違いは、そのスタイルだけでなく、彼らの政治的姿勢にあった。「高学歴で政治家活動をしていたアフロ・ブラジル系の生徒たちから情報提供や勧めを受けて、メストリ・モライスは、アンゴレイロ復興の急進的で政治的なスポークスマンとして現れた」。人種主義を精力的に告発し、差別と戦う手段としてカポエイラを使おうと考えていたGCAPは、自身をブラック・ムーブメントの一部として位置付けていた。サント・アントニオ要塞は、歴史的な街の片隅にあるかつての刑務所だが、そこは無断居住者たちに占拠されてから荒廃し、民衆文化の拠点になっていた。そこには複数のカポエイラ・アンゴラのグループだけでなく、アフロ・ブロック、イレ・アイエーの練習も行われていた。このためアフロ・ブラジル系の人々の誇りを主張する拠点となっていた。このためサント・アントニオ要塞は、市当局から常に目を付けられてきた。市としては利益の上がるショッピングモールに変えたいと考えていた。

 GCAPの内部組織も、黒人解放という重要な目的を反映したものだった。様々な作業委員会(記録、資料、宣伝、企画・調査、経理)が特定の仕事を担当していた。各委員会の代表とメストリ達で審議会を形成し、それがグループの代表となっていた。彼らは総会を開き、年間の活動を決定していた。メストリの協議会が伝統の維持と指導の責任を負っていた。そして他の黒人運動関連の団体の代表たちからなる諮問委員会が設置されており、グループに様々な助言を与えていた。結果としてGCAPは、通常のカポエイラ団体の視野を超えた、幅広い活動を展開することができた。たとえばアシェ・プロジェクトとの共同で、ストリート・チルドレンたちにカポエイラ・アンゴラを教えることができた。GCAPのメンバーは、アフリカ・オリエンタル文化研究所のバンツー文化やキコンゴ語講座で、特別生徒のグループを作っており、そのほかのブラック・ムーブメントのイベントなどに参加していた。

 独自のスタイルを形成し、メッセージを発信するという意味でのGCAPの成功は、アンゴラの復興に寄与したそのほかのグループに影を投げかけた。
by brasilia70 | 2012-04-27 19:18 | 久保原