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184 ケチュッピ

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カンデイアス・デ・カポエイラはM.スイノによって率いられ、1991年に立ち上げられた。ゴイアス州に本部を置き、1999年には4人のメストリ、8人のコントラメストリ、59人のその他の先生、5000人の生徒会員を抱えるものとなった。カポエイラブラジルは1989年M.サビア、パウラオ、ボネコによって立ち上げられ、その後10年でブラジル国内のみで8000人のメンバーを数える程となった。
 このカポエイラの発展は、地理的要因、階級、肌の色のみならず、性別の差さえ超えて広がっていったため、大変印象的なものである。第4章で見たように、カポエイラは常に男性の娯楽であった。女性は、時には観客さえ、女性のみで例外的にプレイされていた。M.パスティーニャは、女性が彼と共に練習することを体型的に促進した最初のメストリであり、多くの他の先生も共に従った。それにも関わらず1990年代までバイアで練習を始めた女性はほとんどおらず、バイアよりも性別差の関係をより根源的に変えていったブラジル南東部、西ヨーロッパ、アメリカのカポエイラグループにおいて女性参加者を拡大させていった。どの地においても、他の男性生徒や先生との関係は簡単ではなく、順応した女性と同数の女性がしばしば離脱していき今も離脱したままとなっている。現在、カポエイラを練習している女性はほぼ全体的に順応している。すべてのコンテンポラリーカポエイラグループに女性が含まれ、メンバーの10から50パーセントをを構成している。
 最高の女性カポエイリスタ達は現在、確実にメストリの数を増やしていく中で、たとえそのレベルでは依然少数派だとしても、他と同等の地位を得る事を成し遂げている。この理由として、女性インストラクターは,若い世代のカポエイリスタのモデルとしての大事な役割を担っている事がある。メストリになった最初の女性は、1980年にM.カンジキーニャの元を卒業したファティマ・コロンビアーナ(M.シガナ)である。彼女はサンパウロとリオにおいて、現在までに何百人の生徒に対してカポエイラを教えており、カポエイラのリオ連合体の代表となっている。たとえ彼女が、彼女の仕事に対する男性からの偏見と今でも戦わなければならないことを認めても、彼女のキャリアは今日のカポエイラ界で女性が地位を得たことを表している。1981年に19才でメストリになった別の女性先駆者であるエドナ・リマは、同時にショウトウカン空手の黒帯4段も所持している。彼女は現在ニューヨークで教えており、最近グループアバダと合併した。カポエイラアンゴラでは数人の女性(ジャンジャ、ジャララカ、パウリーニャ)が同じくコントラメストリの地位を勝ち得た。これら及びその他の女性の先生は一般に、彼女らが所属するグループを越えて広く知られている。カポエイラ雑誌は、レギュラーコーナーとしてカポエイラ界の女性のために紙面を割いており、新しい女性カポエイラスターのレポートやインタビューが掲載される。幾人かの女性インストラクターは自分のグループで女性は尊重され同等の権利を持っていることを強く主張している。
 このようにコンテンポラリーカポエイラが性差の間に平等を与えた一方、雑誌においては今でも、女性の体は男性読者を引きつける為か、もしくはカポエイラ道着の広告として使われる。男性カポエイリスタ間でマッチョ信仰が継続している事で、女性カポエイリスタからの不満は収まらない。ただこれら性別の問題を解決していくことよりも、カポエイラは彼らに再交渉の場を与えている。そしてここでは全てのグループがそれぞれに特有の慣習を持っている。国際カポエイラアンゴラ協会のようにいくつかのグループは、カポエラ界の女性のために特別に捧げるイベントを催し、性別間の平等を強く推進している。一方、もっと主流派のグループにおいては女性の役割は未だ従属的なものとして見られている。いくらかの男性カポエイリスタは今でも、女性とは本質的に男性兵士がリラックスするための場であると言う考えに固執している。別の言葉でいえば、カポエイラの慣習は性別の問題を自覚させる事はできたが、何世紀にもわたって一般に広まっていた家父長制の態度を一晩で変える事は不可能であるということだ。
 さらに加えると、ここ数年、カポエイラの習慣が教育の中にも大変広まっている。実際これまでもカポエイラは教育の手段であった。しかしそれは特定の社会の民族的な集団に限られており、公的な立場からは眉をひそめられていた。
by brasilia70 | 2012-05-01 19:28